3度の飯より君が好き


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(体長約25センチ)
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ぽかぽかと陽射しが降り注ぎ、野の花々が芽吹くなか、聴こえてくるのは春の足音…と、超音波。きぃ〜〜〜ん♪来ったぞ来たぞアラレちゃん〜♪
ある日突如付きまとうようになった耳鳴りはいまだ健在だが、慣れてきたのか以前ほど気にならなくなってきた。病院で耳の検査をしたところ、難聴そのものは回復傾向にあるようで一安心。そう、あとは世界のBGMとして常に超音波が流れてるんだと思えば何てことない!宇宙からの電波メッセージ受信中!…ごめんなさいウソつきました純粋な静寂というものが非常に恋しいです。地道に投薬治療がんばろう。
さて、適当に設定したテーマについてつらつら書いてみようシリーズ第3弾。
○目覚まし
一日のスタートは目覚ましを止めることから始まる。朝6時50分に枕元の電波時計から鳥のさえずりが響いてくる→止める→プチ絶望感から逃避するように寝る→スヌーズ機能で5分後にまた鳴る→止める→寝る(ここでたいてい仕事の夢をみる)…を数回繰り返し、起きなきゃいけないギリギリタイムの7時10分には、携帯のアラームが最後通諜とばかりに鳴り出し、「行きたくないよぉ〜…」のぼやきとともにのそのそと起き上がる。最愛の布団と引き裂かれる、ロミオとジュリエットばりの悲劇、一人舞台にて毎朝上演中。
○お風呂
一般には1日の疲れを癒すくつろぎタイムだと思われるが、私にとっては生活に必要な行為のなかで、割愛できるものなら最もしたい作業だ。銭湯や温泉のようなイベントの一環としてのお風呂は好きなのだが、毎日の生活の流れのなかで服を脱いで湯につかって洗って髪を乾かして…という一連の作業のために時間と体力を割くのがどうも無駄に思えて。んでもって、入ったら入ったで今度は湯船から出るのがものすごく億劫になり、雑誌や本を片手に1時間くらいうだうだ浸っている。お風呂用のエア枕もしっかり装備。だから端から見ればしずかちゃんばりにお風呂大好きな人だろう。実際は慣性の法則(物体はそのままの状態を保ち続けるとか何とかいう物理の法則。うろ覚え。)に忠実に生きてるだけだったりする。ものぐさ万歳。
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ある朝起きたら突然片耳がよく聴こえなくなっていたというお話の続き。
1週間もらった薬を飲みながら様子をみたが、いっこうに改善の兆しを見せないどころか、耳鳴りと耳詰まりに加え、自分の声も外の音も全部割れて聴こえるというある意味笑える状態になったため、その道で有名な都内の病院に行ってきた。診察の結果は予想通り突発性難聴で、原因は不明だけど一般にはストレスでなることが多いとか。あ〜、「ハワイでしばらく遊んで暮らさないと治りません」っていう診断書もらえないかなぁ。
一方、昨日マンションに排水管掃除が来たのだが、なぜか台所の排水口からホースが抜けなくなり、散々格闘した挙句、日曜にリベンジに来るらしい。
なんか最近、つくづく管に恵まれないとクダを巻きたい。
ちなみに耳のほうは、常に不快感は付きまとうものの、幸い生活や仕事に実質的な支障はない程度に収まっている。ただ騒がしい場所では音が拾いづらいので、特に飲み会とかキツそうな予感。まあ内臓系の疾患に比べればまだマシかもしれない。残されたほうの耳を大事にして、地道に治療していくしかない。
それにしても普段めったに病院には行かないから意識することも少ないが、待合室にいる患者さんの多いこと。みんな何食わぬ顔をして、それぞれ大なり小なり事情を抱えているってことを垣間見た気がする。日頃自分の都合のことばかり気にして生きているだけに、たまには世間の一端を知るいい機会だ。
しばらくは通院やら何やらで何かと周りに不便をかけそうだ。ああ、人様に迷惑をかけずに静かに生きるって、簡単なようで実はとても難しい。
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3月3日はひな祭り。そして耳の日でもある。
ひな祭りは女の子のお祭り。…女の子の年齢制限って…?とジレンマに苦しみつつ、結局ひな祭りらしいことは何ひとつしていないが、耳の日のほうは突発性難聴を患ったせいで、嫌というほど堪能している。
この週末に胃カメラ検査で慢性胃炎が発覚した翌朝、起きたら突然右耳がよく聴こえなくなっていた。花粉症患者で混み合う耳鼻科で延々と座って順番待ちしていたせいか、その翌日はひどい腰痛になった。なにこの負の連鎖。イジメ?イビリ?シゴキ?
それにしても右耳をやられたおかげで、いつもの世界がミラクルワンダーランドな感じだ。常に水の中にいるような聴こえ方に、24時間年中無休の耳鳴りコラボレーション。たまにトンチンカンな謎のノイズが混じるわ職場でどの電話が鳴ってるかわからないわでもう散々。ひとまず投薬治療して回復を祈るしかないが、まあ何というか…何でもないようなことが幸せだったと思う。
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この週末は早稲田松竹で「デトロイト・メタル・シティ」と「パコと魔法の絵本」の2本立てをやっていたのでいそいそと一人で観に行った。観終わって満足して大学まで散歩していたら、折しも試験を終えた受験生の逆流に飲まれてしまった。彼らが8歳くらい年下だということに気づき、精神的にも飲まれてしまった。
その後友人と合流し、学生時代にはまだなかった新しくオサレなカフェをハシゴしてケーキ&ディナー。ぐちぐちぺちゃくちゃおかまいなく〜♪な感じの至福のひととき。
さて、思いつきの身の周りお題エッセイ第2弾。
○携帯
近頃じゃ銀行も時刻表も天気図もニュースもテレビも、全部手のひらサイズらしい。高3の時に初めて持った携帯は、画面が16色で4和音の画期的な最新機種だったものだが。
何よりケータイでYahooとGoogleが使えるようになって以来、何か思いつくたびにすぐさまググって調べるクセがついてしまった。それこそド忘れした言葉の意味から人生の深い悩みに至るまで、何でもかんでも。意外に解決してしまうのがまたクセモノ。私にとって携帯はパソコンだと断言できる。
スーパーで買い物してる時に常に携帯画面をにらみながら歩いているのはレシピがそこにあるからなのだが、端からみれば完全に携帯依存症な人だろう。逆にメールや電話はあまりしないほうなのだが。
痛い目をみたのは年末年始。実家で暇を持て余し、無料デコメサイトに登録しまくっていたら迷惑メールや詐欺メールが結構なペースで入るようになってしまった。来ては受信拒否、のイタチごっこをしばらく繰り返していたら沈静化したけど、タダより高いものはないとつくづく実感した。
○洋服
正直あまりこだわりがなく、ふと気づくとユニクロに走っている。むしろユニクロすら贅沢。服飾費は家計が苦しくなるとためらいなく真っ先に削ってしまう項目だ。一応年頃の女子なはずだったのだが…。多分本当は着たい服と毎日着なきゃいけない服が乖離しているのが敗因だと思う。ただいったん気に入るとボロボロになっても構わず何年も着ていて、たまに親にみっともないと止められる。最近、日暮里の繊維街に200円〜1000円くらいで旬な洋服が手に入る店を見つけ、ウキウキと足を運んでいる始末。目指せ全身1000円トータルコーディネート!毎号のように買って読んでるアネキャンが、実は一番ムダな出費かもしれないというお話。
次回のテーマは…(キョロキョロ)目覚ましとお風呂、かな。
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日々の出来事の半分以上はため息と戯言でできており、とはいえずっと何も書かないのも味気ないものなので、ぐるっと見回して適当に目についたものをテーマにつらつらと綴ってみることにした。
○飲み物
毎日2リットルくらいお茶を沸かしてペットボトルに詰めて持って行っている。胃が弱くカフェインが苦手なため、南アフリカ原産の健康茶・ルイボスティーをフレーバー別に5種類くらい揃えている。お気に入りの銘柄は100gで2000円くらいするマリアージュ・フレールなのだが、だしパックに茶葉を詰めてティーポットに放り込んでヤカンから熱湯をドボドボ注ぎ込む…という超・適当な扱いをしているため、高級茶の洗練された味わいは確実に滅却されている。節約のつもりでやっていることは、ある意味究極の贅沢かもしれない。
○新聞
去年から日経新聞を取り始めた。正直経済のことはさっぱりだし株も投資もやらないので半分以上が自分に不必要な記事なのだが、朝電車に乗ると大半のサラリーマンが日経を読んでいるので社会人として同じ土俵に立つには必要なのかもという根拠レスな思い込みと、折り込み広告の少なさが魅力なのだ。忙しいと斜め読みあるいは全く読まずに廃棄になってしまい、月4000円が懐に痛いのも事実。昨日の午後、休日出勤の振替で休みをもらったので、久々に布団を干しながら、寝転がってお菓子にまみれつつ3日分の新聞をひたすら読んでいるうちに休みが終わった。何だかにわかに物知りになったような気がした。何もしなかったけど知の宇宙を探検したのだ、とうそぶいてみる。
次回のテーマは洋服と携帯にしよう。時期は未定。
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案の定というか何というか、なす術もなく暴れ馬に振り回されているような毎日で、どんなに気丈にやり過ごそうとしても体は正直らしく、出たこともない食品アレルギーに悩まされたり、謎の吐き気に襲われたり。よく言えば充実しており、悪く言えば気の休まる暇がない。限りなく後者が正解に近い。
今夜は病み上がり早々調子に乗って残業してたら、危うく職場のフロアで最後の一人になりそうだったので無理矢理切り上げ、キャリーオーバー5億円と騒がれていたロト6の当選発表を一縷の望みとして心躍らすも、フタを開けてみればあっさり夢破れて山河あり。4億円当たった2口分の人は一体今頃何を想うやら。
休日出勤もザラだが、たまの休みに本屋に行ったりすると無意識のうちにメンタル系のコーナーにぼぉっと佇んで何か自分を楽にしてくれる答えを探そうとしていたりする。手当たり次第にパラパラめくってみてもなかなか心に響く内容のものはなかったが、何気なく目についた死体の写真集(外国の警察の捜査資料らしい。相当酷い。)を見て、心から「ただ生きてるだけでも幸せだ」と納得できた気がした。そうまでしないとこんな当たり前のことにも気づけないのかと、そこは自分自身に納得いかないが。
例えは非常に悪かったが、つまるところ、時として言葉は無力で、1000の言葉を尽くされるより、疲れきった時に目にした花の色香で「癒し」の意味を知る。そんなものかもしれない。
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